水の都・三島に芽吹く、再生から開発へ、新しい風

静岡県三島市。かつては静かな地方都市だったこの町が、いま、大きく姿を変えつつあります。名水の町としての誇り、歴史の深さ、そして近年の再開発と移住者増加――。生まれ故郷である三島の変化を、記憶とともに丁寧にたどりながら、その未来の可能性を静かに見つめてみました。

目次

水の都・三島──生まれ故郷に見る再生と発展の兆し

静岡県三島市は、私の生まれ故郷であり、高校卒業まで暮らした思い出深い町です。三島は、古くから「三島宿」として栄え、東海道五十三次では11番目の宿場町にあたります。箱根峠を越えた西側最初の宿場町であり、旅人たちにとって重要な休憩地でもありました。また、三島市の名前の由来となった「三嶋大社」は、奈良時代の古書にも「伊豆三島神」と記述されるほどの歴史を持ち、伊豆国の総社(地域の神社をまとめる役割)として長く信仰を集めてきました。

特に有名なのは、源頼朝との関わりです。平家に敗れ、伊豆へ流された頼朝は、源氏再興を祈願するため三嶋大社をたびたび訪れ、やがてここで旗揚げを決意し、鎌倉幕府を開きました。そのため、三嶋大社は「復活」「再興」の象徴とされ、現在でもスポーツ選手、起業家、実業家など、成功を願う多くの人々が参拝に訪れることで知られています。

私の子どものころの印象では、三島は、隣接する熱海市や沼津市と比べると、どこか落ち着いた静かな地方都市でした。東に位置する熱海市は、当時、全国有数の温泉地として大変な賑わいを見せていました。私の母が熱海の温泉まんじゅう屋の娘だったこともあり、私は、子どものころから熱海をよく訪れていました。駅の改札を出ると、旅館の番頭さんたちがずらりと並び、小旗(のぼり)を手に宿の名前を声高に連呼してお客様をお出迎えする光景は、今でも目に焼き付いています。熱海は平成に入ると、観光客の減少とともに老舗ホテルの閉館が相次ぎ、街全体が低迷しました。しかし、令和に入ってからは見事に復活を遂げ、リノベーションホテルや新しいカフェが次々と誕生し、若者たちの人気観光地として再び脚光を浴びています。

また、西に隣接する沼津市も、当時は活気にあふれていました。沼津港ではマグロをはじめとする多くの海産物が水揚げされ、国鉄(現在のJR)沼津駅前には“沼津で東京のお買いもの”をキャッチフレーズにした、西武百貨店の地方店第1号が立ち、同百貨店の全盛期は、本館と新館の二館が集客拠点となっていました、また、駅周辺には大型アーケード街やボーリング場、歓楽街が集積し、郊外には東名高速道路のインターチェンジがあることから、伊豆の玄関口として交通の要衝となっていました。

そうした隣町と比べると、三島市は百貨店もなく、ホテルも結婚式場を兼ねたものが数軒だけという、控えめな地方都市でした。ただ、ひとつ特筆すべきは、国鉄三島駅北側に、東レの大きな工場があったことです。私が通っていた小学校では、全校生徒の大半が東レ関連の家庭の子どもたちだったと記憶しています。それほど、三島において東レの存在は大きなものでした。そんな静かな町だった三島市が、近年、観光地として、そして若者たちが集まる町として注目を集めているのです。

三島駅は、東海道新幹線の停車駅でもあり、東京から「こだま」で約1時間、「ひかり」なら約50分と、非常にアクセスが良好です。さらに、自然豊かな環境も魅力です。週末には海や山でのレジャーを気軽に楽しむことができるため、東京に勤務しながら、リモートワーク拠点として三島に移住する人々も増えてきました。特に、富士山の絶景を望み、澄んだ湧き水が町中を流れるこの土地は、働きながら心豊かな暮らしを求める人々に支持されています。

商業地として変貌する三島市

三島市の商業の中心は、三嶋大社から伊豆箱根鉄道の広小路駅を結ぶ、全長約700メートルの大通り商店街です。この商店街の中核を担ってきたのが、「ネクステージ三島(旧ヤオハン三島店)」でした。ヤオハンは、かつて静岡県を拠点とした全国規模の小売・流通チェーンで、最盛期にはグループ全体で年間5,000億円もの売上高を誇りました。しかし、1977年に経営破綻し、翌年にはネクステージ三島も閉店。その跡地は長らく空き店舗となり、商店街全体の衰退を象徴する存在となってしまいました。

その後、地元の商工会議所や、大通り商店街を構成する各商店会の皆様のたゆまぬ努力により、再生への道が開かれました。ネクステージ三島の跡地には複合ビルが建設され、1階にはスーパーマーケットの「マックスバリュ」が出店。また、商店街の歩道に設置されていた屋根(アーケード)は撤去され、電柱・電線も地中化。広々とした、旧東海道らしい開放的な街並みへと生まれ変わりました。

先日、帰省した際には、街路に美しくデザインされたフラワーポッドが吊るされ、一時の衰退が嘘のような、明るく洗練されたアメニティ空間へと変貌しているのを目にしました。空きスペースだった店舗跡にも、少しずつ新しいお店がオープンしており、街の賑わいが着実に戻りつつあります。この大通りは、毎年8月に開催される「三嶋大祭り」(三島夏まつり)のメインストリートでもあります。期間中は3日間で約40万人を超える人出があり、三島最大のイベントとして、町を大いに賑わせます。

三島駅周辺の進化

2025年夏、三島に帰省した際、私が特に驚いたのは、三島駅前に「スターバックスコーヒー」がオープンしていたことでした。スターバックスは、原則、自社で出店するため、新規出店にあたり、非常に綿密なマーケティング調査を行うことで知られています。以前、私が同社の店舗開発部門の方と打ち合わせをした際には、出店基準として、

• 半径2キロメートル以内に人口3〜4万人以上の集積があること
• 潜在来店客は観光客だけではだめで、学生や会社員の利用が見込めること
• (来店客層が拡大することで)朝から夜まで、安定した来店が見込めること

という要件を明確に伺ったことがあります。なお、郊外型のドライブスルー店舗については、交通量など別の基準で判断されるそうです。三島駅の北側には、かつてからの東レ工場が広がっており、駅から徒歩圏内の「文教町」エリアには、日本大学(三島校舎)を中心に、小学校、中学校、高校、女子高、大学と、多くの教育機関が集まっています。さらに、JR三島駅の一日の平均乗降客数は49,868人(2022年JR東海調査)に上り、JR東海の全駅中14番目の多さを誇ります。夜遅く、午後11時頃までビジネスマンたちが乗降している光景を見るにつけ、会社員層も相当数含まれていることが実感できます。参考までに、近隣駅の乗降客数では、沼津駅が20位、熱海駅が54位。また、上位の新横浜(11位で56,599人)とは6,731人の差に迫っています。加えて、三島市の西側に隣接する長泉町(ながいずみちょう)の人口は約48,000人(2024年現在)あり、こうした隣接地域からの来店も潜在需要として考えられているのかもしれません。

現在では、スターバックスのほかにも、「タリーズコーヒー」や「ヴィ・ド・フランス」などのカフェやベーカリーも出店し、三島駅前は、これまでの印象とは異なる、活気ある街並みへと変わりつつあります。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、三島のこれからの発展を予感させる光景を、そこに見たように思いました。

富士山の恵みと三島の名水

三島市といえば、何より市内のあちこちから霊峰・富士山を仰ぎ見ることができることが、市民の誇りです。その富士山からの伏流水(ふくりゅうすい)が、溶岩の地盤層を通って湧き出し、三島の町に数々の美しい水辺の風景をもたらしていることもまた、市民の自慢のひとつです。たとえば、市内を流れる「源兵衛川」や、「白滝公園」の清らかな流れ。いずれも、富士山の噴火によって三島まで到達した溶岩層の末端から、何十年、あるいは100年という長い歳月をかけて滲み出した雪解け水なのです。そうした時間の流れに思いを馳せながら川のせせらぎを眺めていると、自然の雄大さと、静かな恵みを肌で感じることができます。

環境省では、全国各地の清らかな水に対して、保全状況が良好であり、地域住民による保護活動が行われているものを「名水」として選定しています。「名水百選」は昭和、平成の二度にわたり選定され、合計で二百か所が登録されました。もちろん、富士山の伏流水も名水に選ばれており、バナジウムなどのミネラルを豊富に含むことから、飲料水としても非常に人気があります。多くの飲料メーカーがこの水を使った製品を展開していることからも、その品質の高さはよく知られています。

私自身、子どもの頃は外で遊んでは、自然に湧き出る水を飲んでいました。大人になり、人間ドックでピロリ菌検査が陰性だったときには、心の中で「あのきれいな湧き水のおかげかもしれない」と、ふと考えたものです。もちろん、因果関係はわかりませんが、きっと私は良い水を飲んで育ったのだろうと、素直にそう思っています。

この名水の恩恵を受けて育まれているもののひとつが、三島名物の「うなぎ」です。三島のうなぎ店では、仕入れたうなぎを大きな桶に入れ、数日間、富士山の伏流水にさらして泥を吐かせます。
この工程によって生臭さが消え、身が締まり、極上の味に仕上がるのだそうです。一方で、カルキ(塩素)が含まれる水道水で同じことをすると、うなぎは保湿力を失い、死んでしまうとも聞きます。
不純物の少ない富士山の伏流水だからこそ、うなぎの繊細な表面をしっかり守り、みずみずしさを保つことができるのです。

三島には美味しいうなぎ屋が数多くありますが、中でも特に人気なのが、1856年創業の老舗「桜家(さくらや)」です。司馬遼太郎が愛した店としても知られており、その味については、多くを語る必要もないでしょう。私のおすすめは、桜家の「お持ち帰り」です。初めて手にしたとき、これほどずっしりと重い持ち帰りの弁当は、経験がありませんでした。いつか、店内でいただくうな重と「お持ち帰り」では、ご飯の量が違うのか、尋ねてみたいと思いつつ、そんなことを聞くのは野暮な気もして、いつも心にしまっています。たとえ答えを知らなくても、あの重みからは、店主の真心が伝わってくるのです。

三島駅前の再開発と、これからの未来へ


地方への移住を支援しているNPO法人「ふるさと回帰支援センター」(東京・有楽町)が、2023年に窓口相談者を対象に実施した全国移住希望地ランキングによると、静岡県は2020年から4年連続で第1位を獲得したと発表されました。また、県や市町の移住相談窓口を利用して静岡県内に実際に移住した人は、2022年度に過去最多の2,634人に上ったと、読売新聞(2024年3月9日付)が報じています。さらに、静岡新聞(2022年5月26日付)によると、2021年度に静岡県内で移住者が最も多かった市町ランキングでは、三島市が第1位に輝きました。これらのデータからも、今、三島市が移住先として非常に注目されていることがわかります。

そんな三島市では、現在、過去最大級の規模となる大規模開発プロジェクトが進行中です。それが、JR三島駅南口東街区にて進められている再開発事業「アスマチ三島」です。このプロジェクトは、市が所有していた土地に、広域医療拠点や商業施設、住宅棟などを備えた複合施設を建設する計画で、総事業費は約209億円、三島市の負担は補助金を含め約37億円とされています。開発を担当するJV(共同企業体)には、ミサワホーム、東レ、野村不動産、三菱地所レジデンスが参画。また、医療拠点には順天堂大学による高機能健診センターの開設が予定されています。敷地内には合計6棟のビルが建設される予定で、竣工は2027年を見込んでいます。この再開発地はもともと、国鉄清算事業団から三島市が払い下げを受けた土地であり、再開発の構想自体は、昭和の時代から長年にわたって検討されてきたものでした。

私が個人的に興味を持っているのは、この地方都市において、大規模な再開発がどのような波及効果をもたらすか、という点です。市内の事業所数やその従業者数、卸売・小売業者の数、観光入り込み客数、ミクロの指標としてはJR三島駅の乗降客数、そして、最終的には三島市全体の税収など。その経済効果が数字に現れるまでには、5年、10年といった長い時間が必要でしょうが、「行政による民間活力の導入」は、私自身の関心テーマの一つでもありますので、今後の推移を楽しみに見守りたいと思っています。

三島市がこれから、どのように進化し、どんな新たな魅力を育んでいくのか。生まれ故郷を見つめる一人として、静かにその歩みを追っていきたいと思います。

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