
DXが進み、あらゆるサービスが効率化されるなかで、企業に問われ始めているのは「人間らしい体験」の設計です。本ブログでは、デジタルとアナログが共存する時代において、どのように顧客の心に残るサービスを提供できるか、その本質を考えてみたいと思います。
プロローグ
次の打ち合わせに向かうため、私はJR瀬戸大橋線の早島駅で下車した。地方都市の小さな駅前には、幸いタクシーが2台待機していた。訪問先は初めてのクライアント。直前の面談が長引き、残された時間はあと30分。急ぎ足で乗り場へ向かっていたところ、私より一歩早く後ろから駆け込んできた別の乗客に、先頭のタクシーを奪われてしまった。残されたのは、やや年季の入ったコンパクトな車両。私は少し不安を感じながらも、その2台目の車に乗り込んだ。
「カーナビはついてますか? 初めて行く場所なので…」
そう尋ねると、年配のドライバーがぼそっと言った。
「カーナビは、ついとらんよ」
内心「やっぱり…」と思い、「それなら他のタクシーを待ちます」と席を立とうとした私に、彼はすかさずこう返してきた。
「住所、わかっとる? わかればええが」
目的地の住所は控えていたが、ナビなしで辿り着ける保証はない。とはいえ、次のタクシーがすぐ来るとも限らない。私は腹をくくって、その車で向かうことにした。住所を告げると、ドライバーは車を発進させながら、無線機を手に取って言った。
「〇〇号、実車。住所は〇〇〇〇…」
すぐに配車センターから応答が返ってくる。
「〇〇号、了解。水島(臨海工業地帯)やな。まずはバイパスに乗ったら、また連絡ちょうだい」
ドライバーは何事もなかったかのように駅のロータリーを抜け、車を走らせた。私は半ば心配、半ば興味津々で後部座席に身を沈めた。
「いつも無線で道案内してもらうんですか?」と尋ねると、ドライバーは即答した。
「これがいっちゃんええんよ。渋滞や工事しとるときは、すぐ迂回路も教えてくれるけん」
バイパスに乗ると、ドライバーは再び無線を取った。
「〇〇号、今バイパスに乗った」
「了解。そのまま10分くらい走ったら、反対車線に“かに道楽”の看板が見えてくるけん、それが見えたら左車線に入ってな」
車は言われた通り進み、バイパスを降りて側道へ。やがて大きな交差点が現れた。
「大高(おおたか)の交差点に着いたら左折。そのまままっすぐでええよ」
さらに少し走ったところで、ドライバーが無線でたずねる。
「このへんじゃと思うけど、なんか目印あるか?」
「マクドナルドとドコモショップの間じゃ」と配車センター。
「あ、ありました! 左につけてください」と私が言うと、タクシーはぴたりと停まり、私は無事、アポイントの時間ギリギリで目的地にたどり着いた。ドライバーと配車センターの見事な“阿吽の呼吸”に、ハラハラしつつも、どこか楽しい気持ちで車を降りた。
「会議は、どんくらいかかるん?」とドライバー。
「たぶん1時間半くらいです」と答えると、
「ほんなら、ちぃと休憩して、ここで待っとくわ」
思いがけない申し出に驚きつつ、私は笑顔でうなずいた。そして、打ち合わせを終えてビルを出ると、あのドライバーはシートを倒して少し仮眠をとりながら、静かに私を待っていてくれた。
帰路、新倉敷駅までの道中、ドライバーは岡山の郷土料理「ままかりの煮付け」の作り方を、まるで昔馴染みのように話してくれた。何でも効率的にこなす現代だからこそ、こうした不器用で、でも温かなやりとりが、心にじんわりと染みる。それは、まさに“人間味あるサービス”の原点に触れたような、忘れがたい時間だった。
このとき、私はふと考えた。スマートフォン一つで配車から決済まで完結する便利な時代に、なぜ私は、この“アナログだらけ”のタクシー体験に、こんなにも満足しているのだろうか、と。それはきっと、目的地にたどり着いたという結果だけではない。知らない土地で、不安を抱えながらも、人の声と言葉に導かれ、道中を共有し、会話を交わしながら過ごした時間そのものが、どこかあたたかく、心をほぐしてくれたからだ。
デジタルが高度に進化し、あらゆるサービスが「速く」「正確で」「無人」であることが評価されるこの時代。しかしその一方で、“人間らしい不完全さ”の中に、確かに存在する満足や幸福感があることを、私たちは忘れてはいないだろうか。
なぜ今、“アナログ”が見直されているのか?
私たちの暮らしの中で、デジタルは今や当たり前の存在となっている。あらゆる手続きがオンラインで完結し、効率やスピードが優先されるのが現代の常識だ。
──けれども、誰しも一度はこんな経験があるのではないでしょうか?
たとえば、新しくダウンロードしたソフトの初期設定中、次に何を選択すればよいか分からなくなり、Q&Aを確認すると数十ページのマニュアルが表示され、一度は読み始めたものの、ページが進むにつれてさらにわからなくなり、気力と集中が失われていく。
あるいは、サービスに関する質問があって「お問い合わせはこちら」をクリックしたら、AIチャットボックスが現れ、どれだけ質問を繰り返しても求めていた回答にはたどり着けない。困り果てて「電話番号を教えてください」と入力すると、「当社では電話でのお問い合わせは受け付けておりません」とだけ表示され、深いため息をつく。
そんな「便利なはずの仕組み」に、心がくたびれる瞬間が、確かにあるのです。
もちろん、システムは理屈の通りに動いています。正しく手順を踏めば、必要な情報や解決策にたどり着けるよう設計されているはずです。しかしそれは、サービスを利用する側に一定以上のリテラシーがあることが前提になっています。そして、何よりもそこには「人の気持ち」や「不安を汲み取る配慮」が、含まれていないことが少なくありません。
「あと〇日で必要な手続きなのに、どうしてもうまくいかない」
「いますぐ、誰かに“もう大丈夫ですよ”と言ってほしい」
そう感じるとき、単に効率的な処理以上のものが、私たちには求められているのです。顧客対応のプロフェッショナルが、1を聞いて10を察し、すぐに解決策を示してくれる——そんな“人の介在”による安心感や信頼は、いくらテクノロジーが進化しても、簡単には代替できないのかもしれません。
先日、帰宅後に届いた1通のメールが、私をざわつかせました。件名は「フライト時間変更のお知らせ」。予約していたロサンゼルス発羽田行きの便に、急なスケジュール変更が発生したというのです。「予約の確定、他の便への変更、払い戻しのいずれかを選択ください」とメールには記載されていました。なんとか確保した繁忙期の帰国便。予約がキャンセルされたら、予定通り帰れなくなったら、「どうしよう」、という不安が募りました。急いで航空会社のウェブサイトにアクセスし、確定の手続きを進めようとしたところ、システムが途中で止まってしまい、「国際線予約デスクへお問い合わせください」との表示。ただし、営業時間はすでに過ぎていました。
不安を抱えたまま一夜を過ごし、翌朝、国際線予約デスクに電話をかけました。繋がるまで時間はかかりましたが、ようやく対応してくださった職員の方は、穏やかな口調で丁寧に事情を聞いてくださり、問題の背景を説明しながら、無事に予約を確定してくれました。ウェブで確定手続きが止まってしまった原因は、コードシェア便によるシステム上の制約だったとのこと。それが分かった瞬間、肩の力がふっと抜けました。そして最後にかけてもらった一言が、今も心に残っています。
「それでは、お気をつけて、いってらっしゃいませ」
画面越しでは得られない、人の声に触れた瞬間。そこにあったのは、“処理”ではなく、“心遣い(こころづかい)”でした。
こうした体験を重ねる中で、私たちは気づき始めています。利便性と合理性を極めたサービスの先にあるのは、必ずしも“心地よさ”ではないということに。そして、多少の不便があったとしても、人と人との関わりの中にしか生まれない温もりや信頼感こそが、真の満足感をもたらしてくれる——そんな原点に、もう一度立ち返りたくなっているのかもしれません。では、そうした“アナログな関係性”が今、具体的にどのようなサービスの中で生きているのでしょうか。次のパートでは、人間味あふれる昭和型のサービスについて、その魅力に触れてみたいと思います。
人間味が価値になる――昭和型ビジネスの魅力
JR目黒駅から山手通りへと坂を下って数分。その場所に、1939年(昭和14年)創業の老舗とんかつ店がある。東京に暮らしている人であれば、一度はその名前を耳にしたことがあるかもしれない名店だ。人気店ゆえ、開店前から長い行列ができるのが日常。店内には白木の大きなカウンター席があり、先着順にそこへ案内されるのだが、その“順番待ち”のスタイルが、少し独特で印象的だ。
というのも、到着順に列をつくって座るのではなく、待ち客は自由に好きな席に腰をかけて待つよう促されるのだ。店内の壁際には多数の椅子が並んでいて、思い思いの場所に座り、待っていればそれでいい。それなのに——不思議なことに、店内を見渡す旦那さん(いかにも「番頭さん」と呼びたくなる、白衣姿のご主人)は、誰が何番目に来たかをすべて覚えていて、カウンター席が空くたびに、
「はい、あなたとあなた、こちらどうぞ」
と、的確に順番通りに客を誘導していく。その見事な記憶力と采配に、初めて訪れた客は驚き、常連は静かにうなずく。まるで“マジック”を見ているようである。
カウンター席に通された時点で、まだ一口も食べていないのに、なぜか「この店に来てよかった」と思ってしまう。それほどに、すでに“サービス体験”が始まっているのだ。常連客が来店すれば、何も言わずとも日本酒の徳利(とっくり)とお猪口(おちょこ)が自然と出される。ご飯が減っていれば「ごはん、おかわりされますか?」、キャベツがなくなれば「もう少し召し上がりますか?」と、さりげない気配り。食事を終えれば、言葉もなく、爪楊枝がスッと差し出される。派手なサービスは一切ない。ただ、心を込めて“もてなす”姿勢が、料理とともに伝わってくる。
こうした「人の温もり」に触れる場面は、場所は変わっても、老舗の家族経営店でこそ、色濃く残っているように思います。家族が協力して切り盛りするその空気の中には、マニュアルでは再現できない“真心”が息づいているのです。
たとえ言葉を交わさなくとも、「いつも通ってくれている人だ」と店の方々は気づいている。しかし、そうしたことには一切触れず、黙々と料理を作り、目の前に差し出す姿勢こそが、“顔の見える信頼”を形づくっている。味の良さはもちろんのこと、その静かな気遣いの数々が「また来よう」という思いへとつながっていくのです。
こうした昭和型のビジネスには、効率やコストでは測れない「人との関係性」が価値の中心にあります。そしてその価値は、デジタル全盛の今だからこそ、よりいっそう輝いて見えるのかもしれません。
DX化とアナログの“共存”は可能か?
ここまで見てきたように、アナログの価値は決して「懐かしさ」や「古さ」といったノスタルジーにとどまりません。むしろ、テクノロジーが高度に進化した今だからこそ、「人にしかできないこと」として、アナログの存在を改めて評価できるのです。では、あらゆる産業・分野でDX化が推進されるこの時代において、アナログはどのように位置づけられ、どのように共存していくことができるのでしょうか。重要なのは、「デジタルかアナログか」という二項対立で考えるのではなく、それぞれの長所を活かした“ハイブリッド型の共存”を柔軟に受け入れることだと思います。
デジタルには、効率性、拡張性、正確性といった強みがあります。業務の自動化、データの蓄積と分析、スピーディーな対応など、ビジネスにとって欠かせないインフラとなっています。しかし同時に、デジタルには「感情を汲み取る力」や「場の空気を読む力」はありません。そこにこそ、アナログならではの人間的な役割が存在します。
たとえば、ECサイトで商品を購入した後に、近くの実店舗でスタッフが丁寧に使い方を案内してくれる仕組みがあったとしたら、初めて購入する人の不安は大きく和らぎます。また、オンラインでレストランの予約を済ませたにもかかわらず、来店時に「〇〇様、お待ちしておりました」と名前を呼んでもらったり、「先日はご家族でお越しいただきありがとうございました。」と言葉を添えてもらうだけで、顧客の体験は一段と深まります。
つまり、デジタルは合理性を提供し、アナログは心の余白に働きかける。この二つが一緒になったとき、サービスには“安心”と“記憶”が加わり、顧客とのリレーションが育まれていくのだと思います。
実際に、老舗企業やトップブランドの人気店ほど、最後のひと手間に「人の温かさ」を残しています。商品を購入したお客様を、スタッフが店先で見送る場面。お客様の背中が見えなくなるまで、静かに頭を下げ続ける姿に、ただの買い物以上の「何か」を感じた経験がある方も多いのではないでしょうか。また、思いがけず届いた手書きのお礼状に、たどたどしくも丁寧な文字で「ありがとうございました。またお待ちしています」と書かれていたとしたら——私たちはその瞬間、誰かの“顔”や“気持ち”を感じ取り、自然とそのお店に親しみを覚えてしまいます。
DX化は、アナログを駆逐するものではありません。むしろ、アナログをより洗練させ、引き立てるためのツールとして活用する視点が、これからの時代には求められているのではないでしょうか。すべてをシステム化し、無人化することが必ずしも「最高の顧客体験」にはつながらないのです。“人が介在する意味”や“人による心遣い”を大切にしたサービスこそ、顧客の満足を高め、サービスに対する顧客の信頼を築くのだと思います。
効率の先にある『豊かさ』の再定義
どこでも、すぐに、思い通りに手に入る。そうしたスピードと利便性は、デジタルの力が私たちの暮らしにもたらした、まぎれもない恩恵です。必要な情報は瞬時に手に入り、サービスの多くはワンクリックで完了する。日常生活もビジネスも、私たちは日々、驚くほど効率的な仕組みに支えられています。けれど、そんな便利さがごく当たり前になった今、ふと立ち止まって考えたくなる瞬間があります。
「本当に心を動かされたサービスって、何だっただろう?」と。
名前を呼ばれたときの安心感。何も言わずとも察してくれたときの、温かさ。誰かが手をかけてくれたと感じたときの、ちいさな驚き。そうした“人の気配”があるだけで、サービスは“記憶に残る体験”へと姿を変えるのです。
これからの時代に必要なのは、テクノロジーと人間味が自然に共存するサービスのかたちではないでしょうか。つまり、便利さのなかに“余白”を残すこと。そして、その余白を、人の手と思いやりがそっと埋めること。それが、今後ますます求められる体験価値となっていくでしょう。
アナログとは、単なる過去への回帰ではありません。むしろ、“人間らしさ”を未来へとつなぐ、大切な橋渡しなのです。
デジタルとアナログが補い合い、どちらも主役になれる社会。誰かがそっと心を配ってくれるような、やさしいサービスが、あたりまえのように存在する未来。そんな日々を想像すると、どこか心が明るくなるのは、きっと私たちがその「豊かさ」に、憧れを抱いているからかもしれません。
効率のその先にある、心の通ったサービス。
今こそ、その価値を信じたいのです。
