
ロサンゼルスで出会った「無人のタクシー」は、移動手段の未来そのものでした。初めて乗車したWaymoの快適で安全な体験から、日本の都市や地方における可能性までを考察します。技術論ではなく、体験から見えた“社会を変える移動”の話です。
ロサンゼルスで“無人タクシー”に乗るという体験
2025年7月、私はロサンゼルスに滞在していた。午前中の打ち合わせを終え、次の予定である昼の会食場所に向かうため、ホテルを出ようとしたとき、ふと目にとまったのが市内を頻繁に走行している「Waymo」の車両だった。無人・完全自動運転で知られるこのサービスは、以前からその存在に関心があり、「一度は自分で体験してみたい」と思っていた。
折しも、出発地はハリウッドのLoewsホテル、目的地はハリウッドとビバリーヒルズの中間にある商業施設「The Grove」。距離は約3.5キロほど。もし途中で何かトラブルがあっても、Uberなど、他の配車サービスに切り替えれば、アポイントメントに遅れることはないだろう。これ以上ない絶好の機会だった。
事前にダウンロードしていたWaymoの専用アプリを起動し、目的地を入力して配車をリクエスト。ほどなくして「車両が約5分で到着予定」との通知が届いた。アプリの地図上では、Waymo車両の現在地がアイコンとしてリアルタイムに表示され、こちらに向かってくる様子を見ることができる。まるでゲームのような感覚で、ただ待つだけの時間が少し楽しく感じられた。
やがて「Ready」の文字とともに、到着の通知が届く。配車を依頼したのはホテルの正面玄関だったが、実際に車両が停車したのは、ホテルの裏手にあるサービスエリアのような一角だった。歩いて向かうと、そこに一台の白い車両が静かにたたずんでいた。多数のセンサーやカメラが取り付けられたその姿は、写真や映像で見ると“未来的で無骨”な印象だったが、実際に目にすると、EV車ジャガー「I-PACE」の柔らかいボディラインとよく調和しており、洗練された美しさすら感じられた。
アプリを操作してドアのロックを解除し、車内に乗り込む。すぐに「Good morning, Masayuki!」と、柔らかな女性の音声が迎えてくれた。シートベルトの着用を促すアナウンスに従い、ベルトを締めると、前座席の間のコンソールボックスに設置されたタッチ型のスクリーンに「Start Ride」の表示が現れる。これを軽くタップすると、車両は音もなく静かに動き出した。
ホテルの敷地を抜けると、大通りの手前で車両は停止して右ウィンカーを出し、車列が途切れるのをしっかりと待ってからゆっくりと入線した。そこには、「慎重すぎるほどの丁寧さ」があった。乗車直後は多少の緊張があったものの、滑らかな加速と安定した車体の動きに、すぐに肩の力が抜けた。無人であることを意識する暇もなく、車内には軽快なBGMが流れ、快適な移動が始まっていた。
途中、大型トラックの後ろを走行していたが、次の右折に備え、車両は判断して右側車線へとゆるやかに車線変更。しかし前方に停車中の車両があることをすぐに検知し、また自然な流れで中央の車線へ戻って追い越し、その後再び右折のために右側へ。こうした挙動のひとつひとつに、センサーとAIによる予測と判断の冷静さと、人間のドライバー以上の「安定感」が感じられた。
社内のスクリーンには、車両が認識している周囲の状況が、シンプルなCGで表示されている。歩行者、自転車、他の車両、信号や交差点の構造までが視覚的に描かれ、たとえば横断歩道を渡ってくるペット連れの女性の姿も、スクリーン上に青い人影として映し出されていた。実際の交通の流れと、車両が「どう見ているか」が一致しているという安心感は、想像以上に大きかった。
やがて目的地のThe Groveに到着すると、Waymoは道路脇に静かに車を寄せ、振動ひとつ感じさせないまま停車をした。スクリーンには到着を知らせるメッセージ。車両を降りて振り返ると、Waymoはまるで何事もなかったかのように次の利用者のもとへと静かに走り去っていった。
乗車前、「無人」という言葉にはどこか不安があった。しかし、実際にはその“不在”が、かえって移動のストレスや気遣いを減らしてくれるという逆説的な発見があった。Waymoの車両は、まるで“個室で移動する静かな時間”を提供してくれる、新しいモビリティの形だった。


Waymoというサービス──技術ではなく、体験価値として
Waymoは、Googleの親会社であるAlphabet Inc.の子会社、Waymo LLCが提供する完全自動運転による配車サービスだ。その起源は、2009年に始まったGoogleの自動運転車プロジェクトにさかのぼる。長年にわたる研究と走行テストの蓄積を経て、Waymoは2018年、アメリカ・アリゾナ州フェニックスにおいて、世界で初めてドライバーのいない「レベル4」の完全自動運転タクシーを商用サービスとして実現させた。
その後、カリフォルニア州サンフランシスコやロサンゼルスなどの都市でもサービス提供を開始し、利用エリアを順次拡大している。利用者は「Waymo One」という専用アプリを通じて、24時間いつでも無人の自動運転車を呼ぶことができる。
Waymoの最大の特長は、いうまでもなく“無人”であることだ。しかし、実際に使ってみると、技術の先進性だけでなく、その体験設計の完成度の高さこそが、このサービスの真価であると感じる。
たとえば、配車の操作は極めてシンプルだ。アプリを立ち上げれば、スマートフォンのGPSにより現在地が自動で設定される。あとは目的地を入力するだけで、数分後には車両が迎えに来る。道順の指定やドライバーとのやりとりは一切不要。時間通りに、静かに、確実に“個室のような空間”が目の前に現れる。
車両に乗り込むと、迎えてくれるのは、やさしい音声アナウンスと柔らかく整えられた車内空間だ。ジャガーのEVモデル「I-PACE」をベースにした車両は、滑らかな乗り心地と静粛性を兼ね備え、移動中もまるで上質なリビングルームにいるかのような安心感がある。
BGMが静かに流れるなか、乗客自身のスマートフォンをBluetoothで接続すれば、お気に入りの音楽やポッドキャストを流すことも可能。さらに、車内スクリーンから温度設定(14~27℃)や風量、ファンのオン・オフなど、快適性の調整が細やかにできる。こうした調整は、タッチ型スクリーンから直感的に操作でき、誰にとっても扱いやすい設計になっている。
もしも乗車中に問題が生じた場合には、スクリーンからワンタップで「ライダーサポート」に連絡することができる。走行中に気が変わって目的地を変更したり、早めに降りたいと思ったときも、スクリーンやアプリから「停車」ボタンを押せば、安全な場所に車両を停めてくれる。“一人ひとりのための移動”を実現するパーソナライズ設計が、こうした細部にまで行き届いている。
この快適性と安心感を支えるのが、Waymoの持つ高度なセンサーとAI技術である。詳細な技術内容は他の専門的な資料に譲るが、車両にはLiDAR(ライダー)や高性能カメラ、レーダーといった複数のセンシング装置が搭載されている。LiDARはレーザー光の反射を使って周囲の物体との距離や形状を高精度で把握し、レーダーは悪天候下でも物体の位置を正確に検知できる。これらのセンサーが360度、300メートル先までの状況を常時モニタリングし、車両の動きを制御している。
WaymoのAIは、こうした膨大なセンサーデータをもとに、周囲の状況を瞬時に判断しながら、安全な走行を実現している。興味深いのは、「Waymo Driver」と呼ばれるこのAIシステムが、1台の車両の経験だけではなく、複数の都市で稼働する多数のWaymo車両の走行データを学習し続けているという点だ。例えば、数千台の車が遭遇したあらゆる運転シナリオが、ひとつのAIに統合され、アップデートされ続けていく。この「経験の乗算」は、まさに人間のドライバーでは到底追いつけない領域である。
米国のメディアでは、Waymo Driverのことを「世界で最も経験豊富なドライバー」と形容することがあるが、それは単なる誇張ではないだろう。現実として、Waymo Driverは米国内の各都市で日々“走りながら”進化しており、その累積的な運転知識と判断力が、乗客に対する安心と信頼を支えている。
Waymoの真の魅力は、こうした技術そのものではなく、それを巧みに「見せすぎず、隠しすぎず」、利用者の体験価値に結びつけている点にある。最新のテクノロジーが、押しつけがましくなく、自然に「快適な移動時間」へと昇華されている。この“ちょうどよさ”が、私にとってのWaymo最大の発見だった。
利用者目線でのPros & Cons──体験してわかったこと
Waymoの自動運転サービスは、最新のテクノロジーを用いた「無人での安全な移動手段」であると同時に、利用者にとっては“日常の移動時間の質”そのものを変える新たな体験でもある。実際に乗車してみて、その快適さや便利さに感心する一方、無人であるがゆえに感じる課題や、将来的に改善が期待される点も見えてきた。
ここでは、私自身が感じたWaymoの利点と課題について、利用者の視点から整理してみたい。
■ Pros(利点):無人だからこそ得られる安心と快適
● 24時間いつでも利用できる安心感
Waymoのサービスは24時間体制で稼働しており、必要なときにすぐ利用できるのが大きな利点だ。特に深夜や早朝など、通常のタクシーがつかまりにくい時間帯でも、アプリさえ使えれば確実に配車できる。都市生活における“移動の自由”を高い次元で担保してくれる存在だと感じた。
● ドライバーとの気遣いが不要な“気楽さ”
無人という点で最も印象に残ったのは、移動中の「気遣い」から解放されたことである。人によっては運転手との会話や雰囲気に気を遣ったり、相性の悪いドライバーに当たってストレスを感じることもあるが、Waymoではそうした心配は一切ない。女性の一人利用にとっても、安心して使える大きな要素になるだろう。
● 正確で穏やかな運転
自動運転というと、どこかぎこちない操作を想像しがちだが、Waymoの運転は驚くほど滑らかだった。急加速や急ブレーキはなく、信号や速度制限を遵守した落ち着いた走行で、まるでベテランドライバーのような安心感がある。リラックスして移動できる環境は、移動時間そのものの質を高めてくれる。
● 時間管理がしやすい
乗車中、車内スクリーンには目的地に到着する予定時間がリアルタイムで表示されており、交通状況の変化も即時に反映される。予定の調整や連絡のタイミングが読みやすく、時間に正確に行動したい利用者にとっては非常に有用だと感じた。
● 乗車中の記録による安心感
Waymoの全車両には、車内外を記録するカメラが搭載されており、すべての乗車が映像で記録されている。万が一のトラブルや事故に備えて確かな証拠が残るのはもちろん、落とし物や忘れ物の確認にも有効で、防犯面でも高い安心感を提供している。
■ Cons(課題):無人ならではの限界と、今後の改善ポイント
● ピックアップ場所の限定性
私自身の体験でも、ホテルの車寄せに配車を依頼したつもりが、実際にWaymoが到着したのは裏手の業務用出入口だった。大規模施設や交通規制のあるエリアでは、車両が近づける場所に制限があり、場合によっては、利用者が自ら歩いて車両に向かう必要があるようだ。この点は、利用に少し慣れが必要かもしれない。
● 柔軟な対応が難しい
当然ながら、車内にドライバーは不在のため、運転ルートや行き先変更などをその場で相談することはできない。設定変更や停車の依頼はアプリや車内のスクリーンで行うか、「ライダーサポート」に電話することで遠隔対応してもらえるが、“すぐ目の前の人に頼める”という感覚とは異なるため、対応のスピードや柔軟さに若干のもどかしさを感じる場面もあるだろう。
● 想定外の事態に対する対応力
事故や故障といった不測の事態に直面した場合、無人であることが不安要素になる可能性がある。たとえ遠隔からオペレーターが介入できる仕組みが整備されていたとしても、利用者にとってはその“間”が見えにくく、心細さを感じる局面も考えられる。非常時にどう対応するか、どこまで安全を確保しているかといった情報提供と可視化が、今後の信頼構築に向けた課題といえる。
● 高齢者やデジタル弱者へのハードル
Waymoの利用には専用アプリの操作が不可欠であり、スマートフォンを使いこなす必要がある。そのため、高齢者や視覚障害者、ITリテラシーの低い層にとってはハードルが高いのが現実だ。真に公共的な移動インフラとして広がっていくためには、音声操作や簡易モードの導入など、より多様なユーザーに寄り添った設計が求められるだろう。
こうして整理してみると、Waymoは単なる移動手段を超えて、「新しい移動の体験価値」を提供していることがよくわかる。一方で、その可能性の大きさゆえに、乗客の多様なニーズや不安にどう応えていくかという責任も大きい。無人という“自由”と“不在”が背中合わせにあるこのサービスは、今後の改善次第で、私たちの移動スタイルを大きく変える可能性を秘めていると感じた。
では、こうしたWaymoの体験から、日本における自動運転配車サービスの可能性をどう考えるべきか──次章で考察をしてみたい。
日本における「Waymo的なサービス」の社会的意義と可能性
Waymoのような無人自動運転配車サービスを、もし日本国内で実装するとなれば──技術的にも制度的にも、そして事業的にも、多くの課題が立ちはだかることは間違いない。
法制度や道路環境、通信インフラの整備、自治体の理解と協力、そして莫大な初期投資。前例のない領域であるがゆえに、フィージビリティスタディや資金調達のハードルも高く、事業の継続性を担保するビジネスモデルの確立は容易ではない。正直にいえば、「実現にはまだ時間がかかる」というのが現時点での率直な印象だ。
しかしながら、ここではそうした制約をいったん脇に置き、あえて「Waymo的なサービスが、仮に日本社会で広く展開されたらどうなるか?」という未来仮説のもとで、その意義と可能性を探ってみたい。そこには、テクノロジーが単なる手段を超え、社会構造や人々の暮らし方にまで変化をもたらす、豊かな可能性が広がっているように思うのだ。
■ 地方・過疎地における「公共交通の再構築」としての意義
Waymoに初めて乗車したとき、私がまず頭に浮かべたのは、日本の地方都市や過疎地における交通の現状だった。
多くの地域で、タクシー会社は撤退し、路線バスも減便・廃止が相次いでいる。その背景には、人口減少と高齢化、そしてドライバー不足という構造的課題がある。利用者が少なければ収益が上がらず、採算が合わない。結果として運転手が集まらず、さらにサービスが縮小する──これはまさに“負のスパイラル”である。
こうした地域において、Waymoのような無人運転車両によるオンデマンド型の移動サービスが実装されれば、公共交通空白地帯を大きく減らすことができるかもしれない。高齢者の通院、買い物、役所への移動を支え、住民のQOL(生活の質)を維持するだけでなく、都市部からの移住・定住の促進にもつながるだろう。
仮に採算性が取れないとしても、医療・教育・雇用といった地域インフラと連動させれば、「人を動かす交通」から「地域を支える社会装置」へとその意味合いを進化させることができる。地方の未来を支える“公共性ある投資”として、Waymo的なモデルが活躍する場面は、想像以上に多いはずだ。
■ 都市部での“モビリティの最適化”としての可能性
一方、都市部においても、「Waymo的なサービス」には多くの可能性がある。東京や大阪のような大都市には、すでに地下鉄やバス、タクシーといった移動手段が充実しているが、それでもピーク時の混雑や、短距離移動時の“ちょっとした不便”は依然として存在する。
Waymoは、必要なときにアプリひとつで呼び出せ、乗降もスムーズ。近距離移動の多いビジネスパーソンにとっては、まさに「スキマ時間」を効率よくつなぐ最適な移動手段となるだろう。とくに都市の湾岸エリアなど、鉄道アクセスが限定的な地域では、駅と住居、あるいはオフィスや商業エリアとの間を結ぶ“最後の一マイル”の交通インフラとして力を発揮するはずだ。
さらに、Waymoは無人であるがゆえに、「短距離移動への気兼ね」がない。たとえばタクシーで数百メートル乗車するのをためらうような場面でも、Waymoであれば心理的負担が少なく、必要なときに必要なだけ使うという自由な選択が可能になる。
また、訪日外国人旅行者への対応という観点からも意義は大きい。英語対応のインターフェースに加え、アプリ操作で完結する仕組みは、言語の壁を超えたモビリティ体験として、都市の国際競争力にも寄与するだろう。すでにロサンゼルス国際空港には、有人車両配車サービスのUberやLyft専用の乗降エリア「LAX-it」が整備されているが、日本の都市にも、Waymoのような無人車両の導線設計や専用レーンの整備が求められる時代が来るかもしれない。
■ 人口減少社会への“最後の移動インフラ”として
最後に、Waymoがもたらすもう一つの価値は、将来の日本における“移動の持続可能性”である。
今後ますます進む人口減少社会において、移動の担い手となるドライバーや交通事業者は、確実に減っていく。そのとき、私たちの暮らしを支える移動手段をどう確保するのか──。これは都市・地方を問わず、日本全体が直面する重大なテーマである。
従来の交通インフラに加えて、無人で、しかも高精度・高信頼で運行可能なWaymo的なサービスが導入されれば、交通の“ラストリゾート”として、私たちの生活の足を守ってくれる存在になる可能性がある。そして同時に、まったく新しいモビリティ事業者の参入を促し、多様で柔軟な移動サービスの創出にもつながっていくだろう。
日本における社会実装には、法整備、技術環境、経済合理性など、まだ多くの壁が残っている。しかしその一方で、Waymoが見せてくれた未来の移動体験は、今の私たちにとって決して“遠い夢”ではない。むしろ、それは未来の生活に不可欠な社会インフラとして、早晩、議論されるべきテーマではないかと思う。
「移動する自由」をすべての人に届けるために。
Waymo的なサービスは、日本社会にとっても、きっと意味ある一歩になる。

出所:https://waymo.com/waymo-one-los-angeles/
エピローグ:無人のクルマが運んでくれたもの
初めてWaymoに乗り込んだとき、私の目の前にあったのは、ハンドルを握る人のいない車、そして静かに開かれたドアだけだった。それはたしかに「移動」の始まりだったが、振り返ってみれば、それ以上に大きな何かが、その車に乗って私の中に流れ込んできたような気がする。
静かに走り出した車内で、私はこれからの社会の姿について、いくつもの断片を思い描いていた。地方での暮らし、高齢者の移動、都市の快適性、そして日本の未来の交通。Waymoという技術の結晶は、単なる“新しい移動手段”を超えて、「暮らしのあり方」や「都市の設計図」までも問い直す装置なのではないか──そんなことを感じたのだ。
もちろん、Waymo的なサービスの社会実装には、まだ多くの課題が残されている。だが、課題があるからといって、未来を語ることをためらう必要はない。むしろ、「体験」がもたらす実感こそが、新たな選択肢の可能性を開く起点になる。
私たちは、いま大きな転換点に立っている。高齢化、人口減少、労働力不足といった構造課題に対し、従来の延長線では対応しきれない領域が増えている。そのなかで、Waymoのような無人配車サービスがもたらすのは、技術革新そのものではなく、「社会が自らの仕組みを再設計する機会」なのかもしれない。
人が移動するということは、単に距離を移すことではない。そこには、時間があり、目的があり、人生がある。誰もが自由に、安心して、必要なときに必要な場所へ向かえる──そんな社会の姿を、私はロサンゼルスのあの短いドライブで、ほんの少しだけ見たような気がした。
無人のクルマは、私たちに「移動の自由」という、極めて人間的な価値をもう一度問いかけてくれている。その問いに、どう応えるか──それは、私たち一人ひとりの選択に委ねられている。
